日本の自覚なき自殺
松崎 元
(2003年4月28日)
このレポートは、かつて世界一と目された日本経済が、なぜ、かくも急速にその勢いと自信をうしない、またその顕著な回復がいっこうに見られないのか、その原因を探ることを目的としている。
そしてこの疑問に答えるため、本レポートは、80年代なかばより始まった金融制度改革に焦点をあてる。
はじめに結論を提示しておくと、その理由は、日本の金融制度を間接金融から直接金融に切り替えようとしている歴史的なこころみがまだ途上にあることである。さらに、その変革が成功する見通しは、大きく疑問視される。
信用リスク内封制度
戦後日本の経済的成功のカギは、世界でもっとも効率のよい「社会主義」とも見られた、国家主導型の資本主義にある。
この独特な資本主義のもとで、その金融制度は、株式市場を通じた直接金融システムより、資金が銀行を通じて産業に配分される間接金融システムに基盤をおいたものであった。
もちろん、株式市場もあったし、投資家も存在した。だが、大半の株は系列内の企業同士で持ち合いされていた。個人投資家は株式市場のわずかな部分を占めているに過ぎなかった。
銀行は預金を集め、政府の指導にそって、それを企業に貸し付けた。この制度を通じることにより、産業への資本の配分と預金の安全は長期にわたって保証された。
こうした間接金融システムは、その信用リスクを投資家が負う株式市場に依存していないため、信用リスクは、銀行と政府との密接な協力関係により、銀行制度そのものの中に閉じ込められた。こうした制度を、黒沢義孝の用語を借りて、「ストラクチュアード・クレジットリスク・システム」(信用リスク内封制度)と称することにしよう(訳注1)。
この制度のもとでは、倒産によるあらゆる損失が金融制度そのものによって処理されたため、倒産による損失をひとりの投資家もこうむることはなかった。だが、1997年のヤオハンの倒産は、投資家が実害をこうむった最初の事例となった。というのは、1996年より、いわゆる「日本版ビックバン」が実施されていたからであった。
信用リスク内封制度は、以下のようないくつかの慣行によって支えられている。
倒産にともなう損失を担うことは社会にとって大きすぎる問題であるという理由から、信用リスク内封制度は、倒産のない環境をもたらすことが、企業、銀行双方にとって効率的である、との考えに基づいている。
戦後の日本経済の奇跡的成功は、こうした特異な制度がもたらした産物である。
外圧
日本経済の世界的拡大の結果、信用リスクは国際化し、80年代の初めより、その独特な制度を揺がせ始めた。ことに、日米間の巨額の貿易不均衡は、日本の保護主義への、米国による一連の攻撃のきっかけとなった。
最初の攻撃は、1983年、米国財務省に主導された日米円ドル委員会である。さらに1989年、日本に存在する自由貿易を妨げる障壁を取り除くことを協議する日米構造協議が始まった。そして1996年、日本は金融「ビックバン」の実施にとりかかったのである。
このように、日本型資本主義は、自らを破壊し、国際化する苦痛を受け入れることを強要された。言い換えれば、内封された信用リスクは、こうして市場にさらされることになった。
1985年のプラザ合意(日米両国は円高を合意)でもたらされた円高不況に対処して、日銀は公定歩合を引き下げ、その結果、市場の資金の供給が増加し、その余剰資金は株や土地市場に殺到し、バブル経済を発生させた。
1991年、バブルを終わらせるため、政府は金融政策の引き締めに追いこまれ、すぐさまバブルは破裂した。それ以来、日本経済は十年以上にわたって地をはい続けている。
モラルハザード――不良債権問題の原因
バブルに至った経路をやや詳しく見てみると、金融制度を自由化する政策が、銀行、企業の両部門におけるモラルハザード[倫理の欠如]をもたらした。
日米円ドル委員会は、日本の資本市場を自由化する五項目にわたる政策を要求した。そのひとつが、金利の自由化であった。
80年代以来の拡大する一方の貿易黒字は、株価を上昇させた。企業部門は、この株価上昇を利用して株式や企業債を発行し、設備投資や運転資金需要をはるかに上回る資金を調達した。
こうした余剰資金は、金利の自由化によってもたらされた高金利に引き寄せられ、大口定期預金として銀行に預金された。多くの企業はこうした金融テクニックを用いて、通常の事業から得られる以上の利益を獲得した。
一方、銀行部門は、こうして集めた資金を、不動産関連企業に貸し付けた。上昇を続ける土地価格のもとで、土地は最も安全な担保であったからである。
こうして、銀行、企業の両部門でモラルハザードが発生した。しかし、伝統的な信用リスク内封制度のために、不動産企業などへの貸し出しに伴う信用リスクは金融制度内に封じ込められ、市場に明らかにされることはなかった。
バブルが破裂した後、こうした内封、すなわち隠蔽された信用リスクは、とどまることを知らぬ不良債権問題をもたらした。この信用リスク内封制度のため、不動産部門への貸し出しによる信用リスクをほとんど誰もが審査しなかった。その制度内にある限り、安全であると誰もが考えたのである。
今日、銀行による懸命の不良債権の処理にもかかわらず、新たな不良債権が次々に生じて来ている。多くの専門家は、その原因は、引き続く物価の下落、ことに株と土地価格の下落による結果であると見ている。しかし、この問題はむしろ、ことの原因ではなく結果である。そして実際の原因は、深く根ざした信用リスク内封制度なのである。
不良債権問題の原因は、人々が余りに信用リスク内封制度に慣れ親しみすぎたことである、と見なしても過言ではないだろう。こうした人々は、リスクの程度を判断する能力を欠いている。そしてこれは、不良債権問題ひいては金融制度の改革そのものが、なぜ遅々として進行しないのか、その理由を語っている。すなわち、それは制度の改革の問題というより、教育、あるいは世代交代の問題とも言えよう。
底なしの不良債権問題
一般の人々にとって、信用リスクを判定することは容易な仕事ではない。これがゆえ、格付け会社が存在する。しかし、その存在は、すべてのリスクが公開されている、つまり、「非対称的」ではない、との前提に立っている。
もっとも発達した格付け会社を誇る米国においてすら、その格付け制度に問題が発生した。エンロンが倒産した時、ムーディーズは、その倒産の5日前まで、この会社にBBB+(危険の格付けではない)の格付けを与えていた。ムーディーズは、ある企業が意図的にその情報を隠す場合は、当社の責任の範囲をこえるものであると言う。
日本の大手企業は、この十年ほどの間に、投資家への情報公開を進めてきた。それでは、日本の金融制度そのものについてはどうであろうか。だが、根深い信用リスク内封制度のために、日本の金融制度が資本市場の公開性の点において、十分に対照的であるというのは難しい。
また、株価の底なしの下落に直面した日本の守旧派政治家が、日銀に対し、国債に続いて企業の株をも買えと圧力をかける合唱を聞くにつけ、自由かつ公開された資本市場の導入をはかる改革に対し、いまだにこうした政治家が執拗に抵抗にしていることを見せつけられる。そうしたシステムは、結局、新旧ごちゃまぜのものになってしまうであろう。
寄生社会
ムーディーズは、日本の円建長期国債に、今年4月1日現在、A2の格付けを与えている。ムーディーズの定義によると、この格付けは、大変低い債務不履行の確率(3年以内では0%、5年まででは1・5%、10年以降では2・0%)を意味する。
しかし、日本の金融制度のもつ非対称性を考慮すると、たとえ小泉政府が一連の改革を進めているとしても、この格付けが、一定の隠された情報に基づいたものである可能性がある。言い換えれば、エンロンがそうであったように、その格付けは信頼しがたい。
著名なアナリストで元東京都知事候補であり、また、日本改革を目指す活動家の養成をはかるNPOを率いる大前研一は、破滅的な結末をさけるための期間は、「あと二年しか残されていない」と言う。
では、その後、何が起るのであろうか。
竹中平蔵経財・金融大臣のブレーンのひとり、木村剛は、もし改革派が抵抗勢力に勝利することがなければ、数年のうちに大規模な資本逃避がおこると予告する(訳注2)。
選挙制度の不公正のような現行の政治構造が存続する限り、混乱をふかめる方向をたどることは避けられまい。
最近の経済週刊誌の記事では(訳注3)、こうした状況を「寄生社会」と呼んでいる。その社会では、政治家、官僚、企業経営者、そして国民に至まで、だれもこの国の将来に責任をとろうとはしていない。
こうした状況が、もし真実だとしたら、それは自殺的と称されるべきであろう。
訳注
1 『日本経済再生の条件』(中尾茂夫監修、筑摩書房、2003年3月)第4章「信用リスクのグローバリゼーション」参照。なお、この中で、黒沢はこの用語を「信用リスク仕組み制度」と訳している。
2 『キャピタルフライト 円が日本を見棄すてる』(木村剛著、実業之日本社、2001年)
3 『エコノミスト』4月29日・5月6日号、18ー21ページ